たった一度も告げなかったけれど…



『きっといいたかった』



私に父は母はいなかった。
私が赤子の時に死んだのだようで…
変わりに私を拾った忍の里の女が私を育てた。
そして、私は忍になった。


『忍は主の為に生き、主の為に死ぬ…感情は消せ。』


毎日のように繰り返される教え。
徹底的に自分を排除するように教えられた幼少期。
それでも感情を持ち続けてしまたのは図太いのかただの偶然か。
変わりに感情を表に出さぬように狐の面で表情を隠した。


はさ、俺様とは違う意味で忍に思いっきり向いてるよね―誰かの為に死ねる人間だもの。』


そう言ったのは同期の腐れ縁の悪友で。
そいつは感情を捨てて笑顔で全てを覆い隠せるようになっていた。
ある種、頭領たちの言う理想の忍を具現化したような男。
真逆だけれどもそれでも私達は酷く似てもいた。
死を割り切っていると言う一点については…



―感情を封じ主の為に生きて死ぬ存在。



それが私達だった。
それは今も変わりないけれど…



!ここにおったのか!」
「…幸村様?」

それでもどこか変わった。



不意に呼ばれた名前。
後ろを振り向けばそこには嬉しそうに駆けてくる…主。
武田軍武将、真田源二郎幸村がいた。


「屋敷におらぬから探してしまったぞ。」
「すみません…ですが、探しに来られたのですか?」
「うむ、佐助が山の方に出かけたと言うのでな。」
「佐助…鳥を飛ばせばよいものを幸村様にお手数をかけさせて申し訳ありません。」
「いや、某がいいと言ったのだ。佐助も鈴とのんびりしていたしな。」


幸村様は幼子のように無邪気で優しい方だ。
仮にも主で戦場では紅蓮の鬼と称される武将に言う言葉ではないが…
それでも普段の幸村様はやはり優しくて…少々変わった方だ。


「…佐助も鈴も幸村様の部下でしょう。」
「?だが、休みの時に仲良くしているのを邪魔する事はあるまい。」


信玄様もだが、忍の私達をまるで対等の者のように扱う。
悪友が言うにはそれ故にとんでもない命令をされるとも言うが…(団子を買いに行けとか)
主の物だと教えられた私達には考えられなかった扱いで…
それは忍として育てられた私達の感覚を狂わせる。


『旦那と言い大将と言い…まったく変わった方たちだよ。』


そう言った悪友は里にいる時に失くした筈の感情を微かに見せるようになった。
それは人から見ればまだ感情が薄いかもしれないが、それでも以前の奴から見ればよっぽどだ。
今思えば、奴が孤児となった幼子を連れて帰って来たのもそれぐらいの時だったと思う。
変わっていく悪友…でも、変わったのは奴だけではなく…





「それに…と二人っきりになりたかったのだ。」

それは…きっと私もだ。





告げられたのはあからさまな好意。
思わず深読みしたくなる言い回しだが、深読みする必要がないのを知っている。
幸村様の言葉はいつだってその心そのままなのだ。


「佐助の鳥で呼べば早いが、城では二人っきりは難しいからな。」
「……幸村様…」


無意識なのか意識的なのかはわらかない。
幸村様は鍛錬以外で二人になるとこのようなまるで睦言のような言葉を吐く。
普段は道端の恋人同士を見るだけで『破廉恥』と真っ赤になって叫ぶような方なのに…
隠す事無く愛しそうに見る瞳が苦手だった。


「しかし、のその面はあまりよくない。それでは某がの顔を見れぬではないか。」
「これは…昔からしておりますので…」
「仕事中や人がいる時はともかく、某と共にいる時は外すのだ。」
「あっ…」


幸村様の手がそっと私の面に触れる。
それだけで上がる体温と早くなる動悸…きっと、仮面の下の顔は赤く染まっているに違いない。
取られてはならないと思うのに私はその手から逃れる事すら出来ない。
ゆっくりと外されるそれに私はぎゅっと唇を結ぶ。



…誰よりもそなたをお慕い申しておるよ。」

―間違っても自分の想いを口に出したりなどしないように…



幸村様が私を慕うと言うように私も幸村様を慕っている。
それはいつからなのか、ひょっとしたら初めて出会った時に既にだったのかもしれない。
この方を何者からも守ろうと心に誓った時点で私は幸村様に心奪われたのかもしれない。
それはわかっているけれど…それでも私はこの想いを口にしてはならない。
だから、私はいつもと同じ言葉を返す。


「幸村様は…私の良き主です。」


だって、私は忍で幸村様はその主。
幸村様はきっと気にもしないのだろうけれど…ダメなのだ。
いくら嫡男ではないと言え、幸村様は真田の武将で真田忍隊の主。
いつかは相応しい家柄の姫を嫁にもらわなければならない日も来るだろう。
何より…私のような出生もわからぬものは敵に付け入る隙をつくるだけ…
ほんとは、外の敵より内の敵の方がよっぽど恐ろしいのだ。



『真田幸村は前田と内通している可能性がある。』

そして、不安は現実になる。



幸村様と信玄様と佐助が戦に行っている最中。
そう言ったのは幸村様の表向き兄で真田家嫡男である『真田源三郎信之』様の家臣。
信玄様に目をかけられる幸村様が信之様の地位を脅かすかもしれない幸村様を警戒していた男。
突然かけられた疑惑…それは私のせいだった。


『幸村殿のご執心の部下は元は前田の血筋の者…前田の密偵かもしれぬ。』


始まりは、里にあった両親の遺品の中で見つかったもの。
それはガラクタ当然の物だったが中に一つ敵である前田の紋が刻まれた物が見つかった。
私にしてみれば両親の記憶などほとんどなく、どちらかが前田の血筋でも今の私には関係ない。
例え、両親とどんな関係にあろうとも今の私は武田の忍で守りたいものはここにある。
あったこともない血縁者より、今まで共にいた大切な者達を私は取る。
でも、そんな言い分を彼らが納得するはずもない。


「…まだ、言う気にはならぬか?」


取調べとして連れて行かれたのは地下室。
窓も何もない岩の壁と蝋燭の光だけが光源の薄暗い部屋。
そこで受けるのは取調べと言うなの拷問。


「言う…気もなにも……私は両親の事は…知らない…」
「そういう事を聞いているのではない!」
「うぁっ!」


問う言葉に知らぬと返せば容赦なく竹刀で打ちつけられる。
拷問用に作られたそれは肉を抉り、そこから流れる血が吊るされた足元に血の水溜りを作る。
針で潰された左目、背に何度も焼けた鉄の棒を押し付けられたせいか肉の焼ける嫌な臭いがする。
逃げられぬように切られた足の腱も血止めに焼かれたがおそらく二度と使い物にはならない。
女としての屈辱を受けても望む答えを吐かない私に苛立ちが募ったのだろう。
執拗を極める拷問…けれど、目的は私が前田の密偵か調べるためじゃない。


「幸村様はお前を使って前田と連絡を取った事があるかと聞いているのだ…」


全ては幸村様の罪をでっち上げる為。
私の事を利用して幸村様を落とし入れようとしているのだ。
…愚かな事だと思う。


「くっ……過ぎた都合のいい…妄想だ…」
「何だと?」
「…そんなに…怖いか?…真田幸村…が……あの方の…地位を脅かすと…」


そんな事ありはしないと言うのに…
幸村様は権力などに興味はなく、純粋に信玄様を武田を真田を思っておられる。
真田幸村が望むのは真田家ではなく、武田信玄の上洛と彼に仕え続ける事。
そんな彼が兄を差し置くなどと考えるわけがないのに…ありえない事に怯える。
ほんとに愚かな人たちだと思う。



「真田幸村に裏切りはありえない。決して、なにがあろうとも。」



だから、私は決して貴方達の思い通りにはならない。
貴方達の望む言葉など言わないし、望むとおりにしてやるつもりもない。
はっきり否定しやったら、更に激しく打ち付けられる。


「うるさい!うるさい!たかが忍風情が!!!」


我で怒りを忘れてしまったのだろう。
さっきまで一応死なぬように手加減されていたのだが、それもなくなり力の限り打ち付けられる。
それは血が固まりかけた肉を抉り更に血を流させ、足元の血溜まりを大きくする。
この調子では、恐らく私はもう数刻も持ちはしないだろう。
でも、それでいい。


(そうなれば…少なくとも幸村様にこの嫌疑をかけることは出来ない。)


知らないとは言え、私の両親の遺品から敵の紋が出たのは事実。
私が生きている限り疑惑は消えないし、私の血はこれからも疑惑を生むだろう。
そして、きっとその度このような事が起こるのだろう…ならば私は無実を貫き通して消えればいい。
それでもまだ色々言うだろうがそんな事実などないのだから証拠もありはしない。
所詮はこうやって信玄様がいない間にしか行動できないような男だ。
帰ってきてしまえばきっと何も出来はしない。


(幸村様…)


私が死んだらあなたはどうされるでしょうか?
悲しんで…泣いてしまうのではと思うのは私の自惚れでしょうか?
わからないけれど…できれば、私の事など忘れてください。


(いつだって…私はあなたの言葉を聞かない振りをしてきた…)


主だから、忍びだからと…
そう言いながらあなたの真っ直ぐな想いからもいつも逃げたけれど…
そんな事は建前だってほんとはわかっていた。
私が言えなかったほんとの理由は…



「幸村…さま……」(私は最後まであなたの忍であれましたか?)

言ってしまえば死を選べなくなりそうで怖かった。



好きです。幸村様…お慕いしています。
だからこそ、あなたと想いを通じ合わせてしまったらダメだと思った。
あなたと思いを受け入れ恋仲になれば私はあなたと共にいたいと願ってしまう。
そして、死に恐怖しいざという時に動けずそのせいであなたを失うかもしれないと…
あなたを自分のせいで失うのが怖くて私は言えなかったんだ。
でも、それでも…



きっといいたかった…でも、決して言えなかった。



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